keyboard_arrow_right
admin
Uncategorized

刀狩りをめぐる問題

 16世紀と言えば、刀剣の歴史を考える上でも転機でした。言うまでもなく、刀狩り令が発せられた世紀でした。当時の豊臣秀吉の心中には何があったのでしょうか。実は刀狩りは秀吉のオリジナル案ではなく、元々各地の大名が考案して実施していたものでした。秀吉はそれを真似ただけに過ぎません。ただ天下を統一した上でのことでしたから、土一揆を阻むという効果は大いにありました。方便としては、「大仏の建立に使う」というものでしたが、見事に成功したのです。ただ内実を少し丁寧に見ておく必要があります。土一揆は農民が主体だったのではなく、実は各大名が農民を嗾けて行われていた側面がありました。つまり大名による下克上という意味合いがあったのです。ですから農民が年貢の辛さ等を理由として自発的に起こす一揆よりも、秀吉は土一揆の方を警戒したわけです。農民を下級武士の手足にさせないためには、刀狩りは非常に有効だったと言えます。
 ここで疑問として生じるのが、下克上のきっかけとなり得る一揆を防ぐために刀を取り締まったことで、日本刀の神性はどうなってしまったのかということです。そもそも刀は武器ではありませんでした。武道と言えば弓馬の道を指すくらいで、刀剣はといえば、宮廷で用いられる儀礼用の道具でした。そして庶民にとっても護身用の道具だったことから、刀に武器というイメージが重ねられることはありませんでした。ルイス・フロイスの回想に見られるように、農民が腰に刀をぶら下げていたほどです。装具としての刀を描き出したのは今昔物語でしたし、最強武士として弓矢の達人を描いたのは新猿楽記でした。つまり武力と刀とは本質的に結びついていなかったのです。秀吉の政策で神性が壊れなかったのも頷けるというものです。

Uncategorized

日本刀と精神

日本刀の稽古では、剣を振るということに、重点を置くのではなくて、剣を振った結果、自分には、どのような影響があるのか、という再帰的な考察をする、ということが、何よりも、重要であるということは、多くの人が、指摘しているわけです。日本刀や、模造刀にも、、心があり、もちろん、自分自身にも心があると、いう、相互の対話が重要になってきているわけです。現代では、インターネットや、メールなどの、発達によって、人と、人とが、顔を合わせなくても、メッセージのやり取りなどで、繋がること、ができるようになってきており、精神性の発達を、十分に、行うことができない、という社会に、なりつつある、ということは、非常に残念なことなわけです。そのような中で、刀と向き合い、自分自身に必要なものは、何か、ということを、常に問いかけていく中で、成長していくということは、このような、かつての社会性を取り戻すことにも、つながるということが、言えるのではないでしょうか 。日本刀と、礼儀は、非常に緊密な結びつきがあり、かつて、武士社会においては、礼儀というものを、日本刀と結びつけて、学んでいた、という事実があることは、多くの人が知らない可能性があります。日本刀を用いた武士道にも、確かな、礼儀があり、稽古が始まりや、終わりに、きちんと作法が存在するということは、知っておく必要があるでしょう。また、人間関係においても、当然で、師匠や弟子など問わずに、無礼なことをせぬように、自然と振る舞いながら、鍛錬を続けるということが、一人前の武士になる近道である、というふうに考えられてきたことは、間違いないと、言えるでしょう。礼儀というものは一日にして成立するものではありませんから、長い目で見ていくことが重要なのです。

Uncategorized

日本刀の歴史

皆さんは日本刀にどのようなイメージをお持ちでしょうか。「よく分からない」と思われている方が大半かもしれません。確かに日本刀はミステリアスな存在です。昔から色々な観点で捉えられてきたが故、余計にそう見えるのでしょう。武器として、神器として、魂として、日本刀は語られ、権威であり続けました。美術品であり続けました。何とも謎に満ちた刀ではありませんか。

現代は平和な時代ですから納得できないかもしれませんが、人類は戦争と共にありました。日本刀も戦争と無縁ではありません。太平の世と言われた江戸時代が訪れるまで、ひたすら武器として用いられた刀だったのです。江戸時代は徳川幕府による治世が安定していたため、日本刀は実用されず、芸術品に様変わりしました。しかし単なる置物に成り下がったわけではなく、その美が磨かれていったことは特筆すべきことでしょう。

時代に応じてその役割や捉えられ方が変化したということは、日本刀は日本人の心性を写し取ってきたとも言えます。日本刀をよく知ることは、日本人をよく知ることでもあるのです。確かに現代に生きる日本人にとって、馴染みのない骨董品に過ぎない面はあるのですが、グローバル化の中にあってなお生き残るナショナリズムという謎を探る上でも、日本刀が欠かすことのできない研究対象であることは間違いありません。

日本刀は多彩に進化してきたことから、太刀、打刀、脇差、槍、矛といった種類が存在します。「太刀」は儀礼用装飾としても用いられる伝統的な刀ですが、実用にも耐えられるよう、刀身に工夫が施されています。「打刀」は室町時代以降に日本刀の代名詞となった刀で、武士が腰に差していたものがそれに当たります。

Uncategorized

現代人がサムライとなるためには

現代人が、サムライとなるための心技体をどのようにすれば身につけられるのかについて考えていきましょう。現代人が身につけていく上で、かつての武士や侍がどのようにして備えるべき心技体を身につけていたのかということを考えていくことが非常に重要でしょう。異本的に昔の武士たちは、武家に生まれた時より武士であるこおが当然であり、幼少のころから武芸の稽古に励んでいました。その中で武士として身につけるべき戦いの技術を習得していったのです。このように武芸とはもともと武技を身につけるために行われるものでありました。しかし、武技を鍛錬している中で同時に自らを律しつつ不断の努力を重ねていく精神の鍛錬でもあったため、武士たちにとって彼らが身につけるべき強い心技体を同時に習得していくための最適なh蒲黄方でありました。このようなことから、昔の武士たちにとっては武芸の稽古は武士としての心技体を学ぶ大切なものとして考えられていた推測できます。また、武士がこなっていた武芸の稽古のなかでも特に型稽古という稽古方法は、とても重要な位置をしめていたことが多く、なぜなら、心技体のうち特に重要な「心を育む」ことに関して非常に大きな意味を持っていたからであると考えられます。その理由として、型稽古とは、自分n身体の動きを見つめつつ技や体を向上させていくのと同時にその奥にある心の状態をも深く見つめて成長させていく稽古方式だからです。この型稽古を中心に武芸の鍛錬を積み重ねていく中で、武士たちは自らの心技体をより確かに同時に鍛えて育んでいくことを可能にさせていったのではないかと考えられています。それが、現代においても武道の中でも特に居合道は、基本的に型稽古を専門におこなっているところが多いのでしょう。昔の武士たちと同じ方法で居合道をまなぶことでサムライとして必要な心技体を確実に現代人にもたらす方法であるでしょう。

Uncategorized

備前長船兼光

備前長船兼光(びぜんおさふねかねみつ)は備前国(現在の岡山県東部)に住した刀工です。備前長船兼光を称する刀工は四工存在しますが、一般には南北朝時代に活躍した刀工を指すことが多いそうです。室町時代の兼光の作刀はほとんど見られないとも言われています。
山城、大和、備前、美濃、相模の五カ国の刀鍛冶群が日本等を代表する作風を生みました。「山城伝」「大和伝」「備前伝」「美濃伝」「相州伝」と称されたこれらを総称して「五箇伝」というそうです。備前国は古刀期最大の刀剣生産地で、五箇伝の雄でした。吉井川下流に備前派各刀工群が集っており、そのなかで長船が1番に繁栄していたそうです。鎌倉末期から南北朝、室町時代末期まで多くの名匠を生みました。兼光は始祖光忠から四代目となる南北朝建武時代の刀工です。二代目が長光で、佐々木小次郎の有名な「物干竿」と呼ばれる長い刀を鍛えた刀工です。
作刀したもので有名なのは『享保名帳』にある裁断名「波游兼光(なみおよぎかねみつ)」だそうです。波游兼光の由来は、渡し船に乗り合わせていた二人の侍が斬り合いになり、1人が帯刀していた兼光で斬ったところ、斬られたもうひとりは岸まで何とか泳ぎ付き、歩きだそうとしたその瞬間に真っ二つになったという、多少オーバーではありますがそういった話となっているそうです。それほど斬れ味が鋭い、ということはおわかりでしょう。
他にも「甲冑兼光」「鉄砲兼光」などは名の通り甲冑、鉄砲を裁断したという伝説を持っています。文化二年(1805年)に出された「古今鍛冶備考」では、土方歳三が持っていた「和泉守兼定」とともに最上大業物にあげられています。良い刀を作刀した刀工だったのは間違いないでしょうね。

Uncategorized

鍛錬のコツ

居合道が理想とする形から、自分自身のクセが出てしまい、反射的に外れることすらないように鍛錬を積んでいくことが重要だと言われており、そのために刀を日々振る必要があるのだということを意識しておく必要があると言えるでしょう。特にこの点において、繰り返し重要だと言われるのが、最適な用具の選択です。自分に適していない用語を使い続けることは、まさにこの点においてファジーな部分を生み出してしまうことにつながりかねず、心と体のバランスが崩れることにもつながりかねません。仏教の用語で「心頭滅却」という言葉がありますが、まさにこれを念頭に置いておく必要があるのです。自分自身に合う刀を見つけ、その刀と共に一糸乱れぬコンビネーションを見せ、一心同体となって、居合道の練習をしている時以外に生じた悩みであったり怒り煩悩などをしっかりと捨て去り、無我の境地に立って鍛錬を積むことが刀を用いた技術の向上に繋がると言えるでしょう。一般的には、日本の武道に特徴的なのは、相手と直接たいすることなく、自分自身の中で仮想の敵を作って鍛錬を行うという形式が多く取られてきたことは、とにかくアジアの武術のなかでも日本に特徴的な部分でもあります。これは、まさに自分自身の中に敵がいるという意識の表れであり、このような意識は昔から意識されてきたと考えられるでしょう。かつて武士社会であった時代でも、自分にとて好ましくない出来事がおきた場合に、その原因を他人に求めるのではなく、自分自身の日々の生活であったり、自分自身の過去の行いに求めようとする態度は、まさに武士の責任の自己完結的な特徴を表していると言えるのではないでしょうか?鍛錬を積むのは重要なのです。